2018年2月16日金曜日

BURROUGHS WITH MUSIC (24) DEAD CITY RADIO-その7

引き続き

William S. Burroughs/DEAD CITY RADIO [Island] release.1990


Design : Kevin A. McDonagh

------------------------------------------

05-2. Where He Was Going

の続き。和訳。

『トルネード・アレイ』の中のこの話「最後の場所」は、ありていに言ってアーネスト・ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」に基づくものだ。実際、「最後の場所」など、いくつかの言葉はその小説からの引用だ。

農家の台所、窓にはブラインド、部屋の隅に立て掛けられた銃。グラスや皿が脇に押しやられ、そこに道路地図が広げられた。四人の男が地図の上に身を乗り出している。よく似た顔つきの男たちだ。灯油ランプはいまにも消えそうだ。ふるえる光が男たちの頬骨や唇を照らす。疲労と緊張の影が彼らの瞳に揺れている。

「ここが封鎖されていることは確かだ・・・それに、ここもだ」

イシュメイルは薄汚れたグラスにウイスキーをたっぷり注いだ。

「ここに隠れている方が安全じゃないのか?」

「どうかな。やつらが、おれたちをあぶり出すつもりならともかく、一軒一軒しらみつぶしにされたらおしまいだ」

「そのとおりだな」

「とにかく、ここを離れよう」

そのとき、ふと彼は思った。おれは死ぬかも知れない、と。遅かれ早かれそうなることは覚悟しているし、仲間だって同じだろう。だけど、それが今夜だとしたら---死の予感が彼の心に吹き込んでくる。ろうそくの炎を揺らす一陣の風のように。そして、恐怖だ。おぞましい死の恐怖が、下腹を蹴るように込み上げてくる。彼は少しだけ身を屈め、椅子の背にもたれかかった。

いつもこうなんだ、と彼は心の中でつぶやく。いつも恐怖からはじまる。それから、猛然と勇気が沸き起こる。そして最後には、まるで生まれ変わったような、清々しく、甘美な気持ちに包まれる。何かの本にそんなことが書いてあった。あれは何の本だったろう。古いウエスタンものだったか・・・

恐怖に耐えていられる間は、まだまだ恐怖が続くのだろう。そして、いよいよ耐えられなくなったその瞬間に、恐怖は消え---希望が生まれる。

「さあ、行こう」しわがれ声で彼は言う。

仲間も脅えているのだろうか、と彼は考えてみる。おれと同じように---手の中の銃はぎこちなく、ずしりと重い。なじまない悪意の塊のようだ---

もちろん、そうだろう。だけど、そんなことを口に出すべきではない。撃鉄と銃尾がカチリと鳴る。

クルマに乗り込んで、ドアを閉める。彼は右側のドアの横に座っている。道は悪く、穴ぼこや轍の跡が水たまりになっている。

ぬかるみにはまり込んだらおしまいだ。二度と抜け出せない。クルマは森の中を慎重に進んだ。いまごろ、このあたりを警察犬が嗅ぎ回っているはずだ。

「止めろ! ライトを消せ!」

バスン、バスンという音を響かせて、向こうからクルマが近づいてくる。狭い道の角にヘッドライトが光り、茂った樹樹の間を照らした。

イシュメイルはゆっくりとクルマを降りた。足が棒のように感じられる。道の真ん中に立って、両手を上げる。

咳き込むような音を立てて、おんぼろのクルマが止まる。運転しているのは白髪の老人だ。

イシュメイルはゆっくりとクルマに近づくと、老人に紙入れを示した。

「FBIだ」

唇がかじかんでいる。紙入れについているバッジは、質屋のバッジなんかじゃない。精巧な偽造バッジで、どう見ても本物にしか見えない。中には偽の名刺が入っている。トロントの偽造職人の手によるもので、一五〇ドルもとられた。おかげで、これまで何度も危ない状況を切り抜けることができたのだ。

老人はぽかんとした顔でクルマの中に座っている。

「我々は銀行強盗の一味を探している。この辺りにひそんでいるはずだ。ここに住んで長いのかね?」

「四十年でさ」

「それなら、このあたりには詳しいな」

彼は道路地図を取り出す。

「いいか、我々が封鎖しているのは、こことここ、それからここだ。他にやつらが脱出できそうな道があるか?」

「そうそう、昔の荷馬車道がすぐそこにあったな。荒れてはいるが、通れんこともないだろう。州道に出る脇道なんだが、きっと連中は、まんまとそこから逃げおおせるに違いない」

「もしその通りだったら、報奨金ものだな。五〇〇ドルがあんたの手に入る」イシュメイルは老人に名刺を渡した。「タルサの警察署まで電話してくれ」

「そうさせてもらうよ。必ず連絡させてもらうよ」老人はクルマを進める。

ダッシュボードのライトの下で運転手が地図を調べている。

「地図によるとその脇道まで、正確に五マイルと十分の三だ」

老人が電話口で。「そうです。Gメンを装っている連中です」

イシュメイルはベンウェイ医師の言葉を思い出す。「いつも死と向き合っている人間は、死に直面している限り、不死身でいられる」

アライグマが道を横切った。ヘッドライトに照らされて、その目は明るい緑色に輝いている。あわてて逃げる様子でもなく、すべるようにクルマの前を横切っていく。突然、不吉な匂いが鼻先をかすめ、抑えようのない虚無感に襲われた。アライグマは軽やかな足取りで向こう側へ走り抜けていく。

「メキシコへ逃げるんだ・・・おれはそこにいたことがある・・・生き残るための唯一の方法・・・ベルトに五〇〇ドルを押し込んで・・・メキシコへの遠い道程を・・・」

恐怖が戻ってきた。絞り出されるように、恐怖が胸に込み上げてくる。手に持った銃はずっしりと重く、もはや持ち上げることさえできない。不安がじりじりと押し寄せてきて、身体中の力が抜けていく。

角を曲がる。ライトが目に突き刺さる。白い閃光を浴びて、何もわからなくなる。おれは、じゆうううだ。ドアを開け放ち、外に飛び出す。フロントガラスが破裂。黄色い破片がきらめいている。トムが両手で顔を覆う。

やけに身体が軽かった。手に持った軽機関銃も嘘みたいに軽い。まるで夢の中にいるようだ。いかにも誠実そうな若い警官---おまけに信仰心も厚いクソガキだ---が飛び出してきて、ライフルを向ける。

彼はまだ人間を撃ったことがなかった。

「動物なんだ!」仲間の警官が言う。「やつらを人間だと思うな! それを忘れるな」

「武器を捨てろ!」保安官代理が怒鳴る。

イシュメイルは引き金を弾いた。

若い警官の痩せた胸に、四十五口径の弾丸が三発。一インチずつ離れたところに撃ち込まれる。まさに、名人芸だった。

「楽器みたいなものだよ」かつてマシンガン・ケリーが彼にそう言った。「演奏するんだ!」

イシュメイルはクルマの中でうとうととしていたに違いない。別の撃ち合いの夢を見た。クルマは一晩中走り続け、いまは無事に帰途につき、谷間へと向かっている。もう何の心配もなかった。暖かい風が吹き抜け、水の匂いがする。

「トマスとチャーリー」

「なんだって?」

「この街の名前だよ」

そうだ、トマスとチャーリーだ。ここから一万フィートも上ると街へと続く道に出る。懐かしのメキシコ・シティ。初めて吸ったマリファナ。すっかりいい気持ちになって、ニニョ・ベルディドまでふらふら歩いた。いたるところに砂糖のしゃれこうべと花火が見えた。少年がしゃれこうべをしゃぶっている。

「死者の日だよ」

そう言って少年のひとりが笑う。白い歯に赤いガム。真っ白。真っ赤。生命より白く、生命より赤い。なぜいけない? 彼は自問した。おれがそれをおぼえたのは、感化院でだった。

少年は耳の後ろにくちなしの花をつけている。しみひとつない真っ白な綿のシャツに、足首までのズボンとサンダル。バニラの匂いがする。感化院にいたとき、イシュメイルはよくバニラを飲んだ。少年にはわかっている。彼は行くべき場所を知っている。ふたりは立ち止まって、花火を見つめた。ふたつのねずみ花火がそれぞれ逆方向に回転している・・・そのときイシュメイルは、高速エレベータに乗っているような、居心地の悪い浮遊感を味わったのを覚えている。

少年は笑っている。笑いながら、ふたつのねずみ花火の間にできた暗黒の空間を指差している。ねずみ花火はぱちぱちはじけながら回転する。やがて暗黒はひろがり、全世界を覆い尽くす。そのとき、彼は悟った。おれが行こうとしていたのはあそこなのだ、と。

イシュメイルは、担架の上で息絶えた。

from ウイリアム・S・バロウズ・著, 清水アリカ・訳 (1992.6) 最後の場所. 『トルネイド・アレイ』所収. pp.53-62. 思潮社, 東京.
→ 再録 : (1992.8) 『バロウズ・ブック』(現代詩手帖特別版)所収. pp.144-147. 思潮社, 東京.
赤字は朗読での付加)


装画 : 大竹伸朗, デザイン : 大久保學

------------------------------------------

という、意外にストレートにハードボイルドなストーリー。確かにHemingwayの短編小説

・Ernest Hemingway (1936) The Snows of Kilimanjaro.

同様、男が死の直前に美しい想い出の夢を見る。うまく切り抜けたと思わせておいての、急転直下の結末が見事。

0 件のコメント:

コメントを投稿