1957年になり、パトロネスであるPannonica de Königswaterの手助けでcabaret cardを再取得することができた。
そしてその夏から冬にかけてFive Spot Caféで長期ライブを行い大評判となる。そのパートナーとなったのはJohn Coltrane。
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Coltraneは、1955年以来Miles Davis Quintetのレギュラーであった。
1957年は、Miles 5の2作、
Miles Davis/'ROUND ABOUT MIDNIGHT [Columbia] rec.1955-56
COOKIN' WITH The Miles Davis Quintet [Prestige] rec.1956
が発売され、そのプロモーションのライブ活動を開始しようとしていたところであった。
1957年4月、Miles 5はNYCのCafé Bohemiaでの長期ライブに臨んだが、それはわずか1週間で終わってしまう。というのも、ColtraneとPhilly Joe Jonesがヘロイン依存症で会場に現れなかったり、現れてもボロボロの演奏をするばかりであったためという。
それでMilesはColtraneをぶん殴り、Quintetは解散。MilesとColumbiaはQuintetで売り出すのをあきらめ、その後しばらくはGil Evansとのコラボを前面に打ち出していくことになる。
Jazz史の本や記事などでは、「Mile Davis 5が一世を風靡した」みたいに書かれていることが多いけど、実際はそんなにうまくいってはいないよう。録音時と発売時にタイムラグがあるので、Miles 5の評判が一般に高まるのは、1957年の解散後のようだ(ライブ会場やミュージシャン間での評判はすでに高かっただろうけど)。
そして、その評判に乗っかって、Milesは1958年にQuintet+Cannnonball Adderley (as)のSextetでバンドを復活させる。
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Miles 5をクビになったColtraneを拾ったのが、Thelonious Monk。MilesがColtraneをぶん殴る現場にMonkがいて、そこでColtraneを拾ったという話もあるが、それはできすぎだ。おそらく神話にすぎないだろう。
(追記)@2017/10/20
などと書いてしまったが、
・ロビン・ケリー・著, 小田中裕次・訳 (2017.10) 『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』. 673+30pp. シンコーミュージック・エンタテイメント, 東京.
← 英文原版 : Robin D.G. Kelley (2009) THELONIOUS MONK : THE LIFE AND TIMES OF AN AMERICAN ORIGINAL. xviii+588pp.+pls. Free Press, New York.
によると、どうも本当らしい。詳しくはこちらで↓
2017年10月19日木曜日 ロビン・ケリー 『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』 ひろい読み2
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Thelonious Monk/THELONIOUS HIMSELF [Riverside→Fantasy/OJC] rec. 1957, re-issue 1987
Cover Design : Paul Bacon
1957/04/05 & 16, NYC
TM (p)
01-08. 略
1957/04/16, NYC
John Coltrane (ts), TM (p), Wilbur Ware (b)
09. Monk's Mood
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Monkのソロ作の最後に1曲だけ参加。
Monkがソロで1コーラス、Coltraneが加わり1コーラス半、テーマを奏でるだけの静謐な演奏。
珍しい構成だが、こういったアプローチはMonkはバラード曲を挟んで来る時によく使う。テーマのみ、あるいは少しフェイクを加えるだけで短くまとめるやり方。
題材となるのはCrepuscule with Nellie、Just A Gigoloなど。それほど多くないが、このMonk's Moodはその流れと見ていいだろう。
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主にMonkのアイディアだろうとは思うが、Coltraneにもその素養がすでにあったんではないだろうか?
Coltraneは、若き日にはJohnny Hodgesがアイドルであり、Miles 5に加入する直前の1954年には数ヶ月間Hodgesバンドのメンバーでもあった。
Coltraneの高音を多用する、tsらしからぬ音色は、tsでHodgesになりたかったのではなかろうか?とも思っている。
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John Coltrane/BALLADS [Impulse] rec.1961-62
は、言わずと知れたColtrane最大のヒット・アルバム。
このアルバム当時、Coltraneはマウスピースの調子が悪く激しい演奏を避けていた、とか、それまでImpulseが出したアルバムの売れ行きが悪いので、売れ線狙いのアルバムを出した、とか言われている。
それは本当かもしれないし、邪推かもしれない。しかしアルバム・コンセプトとしては、これはColtraneがHodgesになろうとしたアルバムではなかろうか?と思っている。
「一度はHodges的なアルバムを作ってみたい」とColtraneは思っていたんじゃないかなあ。ちょうどそのタイミングが来たわけです。
これと、ColtraneがまるでHodgesの代役を務めたかのような
Duke Ellington & John Coltrane [Impulse] rec.1962(BALLADSと同時発売だったらしい)
で、Hodgesに借りを返した形になり、Coltraneはその後数年間は激しい音楽に邁進していく。
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で、Monk's Moodに戻ると、バラード曲ではテーマを奏でるだけで終わり、あるいはアドリブだけ他の奏者にまかせる、というのはHodgesもよくやるアプローチなのだ。このMonk's Moodはそれとよく似ている。
テーマをを繰り返すだけ、というMonkのアイディアにColtraneは「ああHodgesのあれね」とすぐに順応できたのかもしれない、と思っているのです。
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実はColtraneは、後に自作で似たアプローチをやっている。
John Coltrane/GIANT STEPS [Atlantic] rec.1959
のNaimaがそうだ。
そこではColtraneは最初と最後にテーマを吹くだけ。アドリブはWynton Kelly (p)にまかせている。Kellyの名演。
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もう一つ
John Coltrane/OLÉ COLTRANE [Atlantic] rec. 1961
のAisha(作曲はMcCoy Tyner)でも同様に、Coltraneは最初と最後のテーマのみ。
アドリブはFreddie Hubbard (tp)→Eric Dolphy (as)→McCoy Tyner (p)と続き、最後にColtraneがテーマでビシッと締める。7分強で簡潔にまとまった美しい演奏だ。
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Monk's Moodで1回終わってしまいましたが、その後Coltraneは2度Monkのレコーディングに参加した上で、Five Spotに臨みます。
次回はその過程を見てみましょう。
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